しゃべって、晴れ。

古い西部劇とその他のDVD、あるいは何かについてただおしゃべりしているだけのモノクロブログ。

おしゃべり 1

  原題は『アビリーンタウン』

 

ひとりのカウボーイが酒場で問題をおこした。ボスの✳✳✳はその処遇をめぐり町の保安官と激しく衝突した。町への出禁を言い渡す保安官。とうてい我慢がならない✳✳✳は「かならず戻って来るからな。そしてこの町をずたずたに切り裂いてやる」とすごむと、配下のカウボーイどもを引き連れ町から去っていった。西部劇『静かなる対決』である。

 

悪漢どもの保安官への復讐という話ですぐに思い出すのは、あの有名すぎるほど有名な『真昼の決闘』だ。物語が進む時間と上映の進行時間が一致しているとか、西部劇の主人公のくせして、やたら普通の人なみに弱気を見せたり苦悩したりするとか••••まあ、いいたいことを持った高級西部劇なのだ。『静かなる対決』は笑いも色気もあるモノホンの娯楽西部劇です。

 

どちらの作品でも、悪漢どものお礼参りをまえに、町は恐怖と混乱に陥ってしまう。『真昼の決闘』の主人公である保安官に加勢をしようというものなど、ひとりもいない。町の要人は、新妻を連れてはやく町から出ていくよう、かれに要請する。『静かなる対決』も同様だ。大商店の経営者(町の中心人物)が、バッジをはずすよう保安官を説得しようとする。

 

『真昼の決闘』の主人公はとうとう孤立無援のうちに悪漢どもを迎え撃つことになった。『静かなる対決』のほうはというと、これがなかなか興味深い展開を見せてくれるのだ。この映画の舞台であるアビリーンの町は長くて困難なキャトルドライブの終着地である。牛飼いたちの休息地であり歓楽の町である。牛飼いたちによって栄えてきた町なのだ。

 

そこへ農民の一団が入植してきたことで、両者の間に軋轢、そして衝突が起こるようになってしまった。これがこの映画のシリアスな側面のほうの筋立てだ(別な側面はもちろん主人公のラブロマンスです)。牛飼いと農民、そして町民という三者の緊張関係が話を面白くしてくれる。それに、荒くれとはいえ牛飼いは牛飼いだ。『真昼の決闘』のアウトローではないのだ。

 

この町の住民は商人たちである。経済第一のかれらは、はじめは恐怖一辺倒だったが、すぐに損得の観点から状況を点検しはじめた。付き合う相手を牛飼いから農民に切り替えたほうがより利益を生むのではないか。農民はおとなしく、定住だ。農民の数、一家族の物品購買回数、農作物の出来高予想などをつぶさに算盤勘定する。

 

主だった住民が集まりみんなで議論を戦わせる。ビジネス魂全開のこの白熱シーンこそが、実は『静かなる対決』一番の見どころなのかもしれません。そんな面白さです。農民たちが徹底抗戦の構えであることを知り、町民はかれらとともに、牛飼いと戦うことを決心した。農民と牛飼いとなると、『シェーン』などでもそうだか、どうしても牛飼いのほうが悪者にされてしまう。

 

『シェーン』では両者のそれぞれの代理である主人公とプロの殺し屋が対決するが、『静かなる対決』のクライマックスは、全農民と全町民の連合隊とかれらに挟みうちにされた牛飼いどもの直接対決だ。圧倒的多数をまえに、牛飼いどもに勝ち目はない。戦わずして尻尾を巻いて町から退散だ。アビリーンは血を流すことなく、静かに厳かに、勝利を手にしたのだった。

 

この直前に牛飼いどもが酒場を滅茶苦茶にぶっ壊す場面があり、その騒動のなかで、ボスの✳✳✳は保安官に射殺されてしまう。酒場の主人はどっちのサイドにつくべきか最後までぐずぐずだった(牛飼いたちの散財で大いに店が儲かっていたわけだからね)。が、結局最初にお礼参りをされることになってしまい、かわいそうに本人もボコボコにされちゃったよ。

 

エドウィン•L•マリン監督、1946年モノクロの楽しい娯楽西部劇。その楽しい側面も語らなければ片手落ちというというもの。それはまた。[記憶のみによる記述のため、事実とことなる点がある可能性があります]